コラム
2023.07.12
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【M&A事例】経験者に学ぶ M&A成功の秘訣 vol.2「不動産ビル管理のM&Aで心機一転 次のステージへ」


勤めていた会社から、テナントビルとアパート管理の事業を引き継ぎ、長年運営してきた菅原企画の菅原健元社長。しかし、築45年を越える建物は老朽化が進み、メンテナンス費用の捻出も難しくなっていました。相談した会計事務所からM&Aを勧められた菅原氏は、そこで初めてM&Aを検討。今は重くのしかかっていた肩の荷を下ろし、息子と共に次のステップへと踏み出しておられます。昨今事例として増えてきた不動産のM&Aですが、決断に至った背景やお気持ちの変化など、詳細のお話をお聞きしました。

ビルメンテナンス業を 勤務先から承継

北海道札幌市の南東部に位置する豊平区は、札幌の都心から地下鉄で15分弱、緑豊かな丘陵地が広がる、住宅地も多いエリアです。そんな豊平区の中心部にあり、札幌ドームからも近く、緑豊かな公園も点在する幹線道路沿いの好立地にあるのが、菅原企画が管理運営をしていた『壺屋ビル』です。
2019年にリニューアルした1階にあるレストランは、和洋中取り揃えた豊富なメニューと温かな接客、手頃な価格で愛されています。地下には昔ながらの飲食店が並び、昭和レトロな雰囲気を味わいたい人が訪れるスポットとしてメディアなどでも紹介されています。
1974年にオープンした壺屋ビルは、もともと、和洋菓子などを販売する壺屋という会社が建てた自社ビルでした。かつては「月寒のセンター街」とも呼ばれ、1階と地下には飲食店が、上階は賃貸住宅として運営されてきました。最初、地下にはスーパー(市場)がありましたが、まもなく『プラザ味の名店街』が誕生。以降45年以上もの長い間、多くの人に親しまれてきました。「私は83年に壺屋に経理担当として入社し、後に壺屋ビルの管理業務をするようになりました」。
菅原氏は、自身と壺屋ビルとの関わりを振り返りながら、こう語ります。高度経済成長まっただ中で大きくなっていった壺屋でしたが、オイルショックで足を掬われ、その後もバブル崩壊、リーマンショックによる金融機関の破綻などの苦境が続き、企業規模を縮小せざるを得なくなってしまいました。
「入社当初80人以上いた従業員も、私を含め数名を残すだけとなりました。それでも経営は厳しく、結局会社を清算することになったのです」。
清算にあたり、もし菅原氏が起業して事業を承継するのであれば支援できるという話があり、2013年、テナントビルの管理や上階にある賃貸住宅の運営を行うために、菅原企画を起業。管理業務を行うことになりました。

思いも掛けない M&Aによる承継

同ビルの運営管理を行ってきた菅原企画は、22年、M&Aにより、国内外で不動産投資を主に手がけている投資家に会社を譲渡しました。
「資金繰りなどについて会計事務所に相談した際にM&Aを勧められたんです」。菅原氏は、M&Aのきっかけをこう語ります。
1974年に建てられたビルは、築45年以上。丁寧に管理していても、傷みは少しずつ激しくなり、補修が追いつかないほどになっていました。屋根は防水効果が切れてきて、雨漏りをするようになり、壁もヒビ割れなどで補修が必要。あそこを修理すればここが、ここを修理すれば あそこが、というように、毎日どこかしらの設備に問題が出るようになっていました。
菅原氏が事業承継をした際の債務にプラスして、多額の修繕費を上乗せしなければならない状態となったのです。その上、建物の古さは上の階の居住スペースにも影響し、入居者は年々減り、それに伴い収益も減っていました。
「ビルの修繕にまわす費用がなかなか捻出できず、お金がないから自分で修理を行う以外の選択肢がなくなっていました。でも、60歳を超えると、自分で屋根裏に上がって職人まがいの修理をするような労働は大変になってきたのです」。
1階と地下の商用スペースには、飲食店等が入っているが、電球の交換やトイレの掃除といった細々な管理業務が、菅原氏の会社が同じビルにある気安さから、24時間対応を余儀なくされていました。長く店子として入居しているテナントなどには、「何十年も家賃を支払ってきたのだから、やってもらって当たり前」という感覚があり、互いの立場による意識の違いがストレスとなっていました。
「単純に事業承継ということで考えれば、息子がいますし、売り上げが5000万円ほどありますから承継はできたかもしれません。でもビルはぼろぼろの状態で、まだ借入金も残っています。ある程度の資金がなければ、たとえ承継したとしても、修繕費用のために息子が借金を負うことになるのは目に見えていました」。
不動産だけ譲渡するという選択肢もあったが、物件を売却するにしても、数億円の借入金があり、売却には経費もかかります。「そうした費用を相殺するにはM&Aがいいだろう」と、相談した会計士に勧められ、初めてM&Aが検討の俎上に載せられたのです。
「もともと、仲介会社が主催するM&Aの講習会に参加したことはあったんです。ただその時は『自分には難しいな』という印象で、具体的に自分に当てはめて考えることはありませんでした」。

肩の荷を下ろし 息子の店を一緒に経営

実は同ビルの1階にあるレストラン『エム・キッチン まさよし』は、菅原氏の息子が経営しています。
「今は息子の店の手伝いなどもしています。息子は、23年1月に新しく会社を立ち上げ、私もそこに少しですが出資しています。今後は、息子と一緒に店を盛り立てていければと思っています」。
菅原氏の息子には、手打ち蕎麦を提供する店をやってみたいという希望もあるといいます。昼は蕎麦、夜はお酒と一品料理なども提供できる蕎麦居酒屋ができるよう、現在は物件を探している最中とのこと。
会社を売却することで、借金から解放されたという菅原氏。M&Aについて次のように語っています。「M&Aというと、なんとなく難しく、わかりづらいイメージがあります。私の場合は、お願いしている会計士に勧められて、初めて自分にも『M&A』という選択肢があることを意識できました。さまざまな方向を検討したなかで、金銭的にも一番いい形で承継できたと思っています」。よくわからないから敬遠するのではなく、まずは検討してみると、いろいろと見えてくるものがあります。
ビルのオーナーとして、テナントとのやりとりや古いビルの修繕に気持ちを削られる毎日から解放され、背負うものがなくなった菅原氏。
「少しでも興味を持ったなら、まずは試してみると良いのではないかなと思います」。

★本事例のポイント★
・売上も出ていたので息子へ事業承継することはできたはずだが、修繕費用等によって借金を負ってしまうということが想定されていたこと。
・不動産だけ譲渡するという選択肢もあったが、物件を売却するには経費もかかり、既に数億円の借入金があったため、そうした費用を相殺する最適解としてM&Aを選択したこと。
・M&Aについてよくわからないから敬遠するのではなく、まずは検討して選択肢を増やすこと。(やる・やらないではなく、いろいろと見えてくるものがある。)

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