一職人から10億円企業へ
「地域のために」を軸に
成長を続ける建築事務所
学び続ける姿勢こそが次世代経営者の条件。学びには、座学での学びと実践経験による学びがあり、両方が揃って成長の糧となる。リフォーム市場に着目し、職人として独立。その後、次世代経営塾で学んだことをきっかけに、10億円企業へと会社を躍進させた花田孝則氏に、自身の次世代経営者としての成長の軌跡をたずねた。
売上至上主義の限界だった3億の壁
鈴木:2000年に職人として独立されていますが、独立に至るまでの経緯をお教えください。
花田氏:防災設備メーカーで現場と設計を経験して4年半くらい経った頃に、住宅の修繕や増築をする小さな会社に転職しました。当時の日本ではリフォームは一般的ではありませんでしたが、将来的にリフォーム需要は広がるだろうと思い、職人として10年修業を積もうと考えたんです。会社が休みの日にも、知り合いの大工さんなどに声を掛けて現場に連れて行ってもらい、いろんな技術を身につけました。そうして10年後、32歳の時に独立しました。
鈴木:独立当初は大変でしたか?
花田氏:ええ、仕事がなくて。独立した年の12月の売り上げはたったの15万円でした。それでも知り合いや先輩からの紹介で、少しずつ仕事が増えていきました。競売物件のリフォームを定期的に手掛けるようになり、気がつくと一般のお客様の仕事も増えていました。
鈴木:06年に法人化されました。
花田氏:社員は約5名で、売り上げは1億円を超えたくらい。その頃は、売り上げ1億円を達成するぞ、その次は1億2000万円だ、とひたすら仕事をとってきてはこなす売上至上主義でした。ところが、1億8000万円ぐらいからなかなか2億円に手が届かないという状況が続きました。
鈴木:原因はどこにあったのでしょう?
花田氏:売り上げのことしか考えていなかったので、案件ごとに粗利率はバラバラでしたし、私一人で営業を担うという、一馬力の限界だったのだと思います。決算書の読み方も知りませんでした。それでもなんとか、43歳の頃に2億円を超えたのですが、独立した時からお世話になっていた遠賀信用金庫の当時の徳田支店長(現・常務理事)にはわかっていたんでしょうね、経営の勉強をせずに突っ走る私の限界が。それで、おんしん未来創世塾に誘ってもらい、受講しました。 1回目の講座で衝撃が走りました。経営理念は? 会社の強み、弱みは? といった問いに答えられず、自分の能力の低さを思い知ったのです。また、ちょうど同じ頃に「会社がどこに向かっていくのかがわからない」と言って辞めた社員がいまして。そこから勉強を始めました。ですから、おんしん未来創世塾の受講が、経営者としての私の分岐点です。
鈴木:なるほど。“何がわからないのか、何ができていないのかがわかる”というスイッチが入ったのですね。それが経営者としての成長への第一歩となるのだと思います。
花田氏:その後、ほかの勉強会でも学びながら、経営理念やビジョン、行動指針などを含むコーポレートスタンダードを作成していきました。各セクションの役割や関係、売上目標や福利厚生についても記しています。
鈴木:かなり充実した内容ですが、すぐに作成できたのでしょうか?
花田氏:当初はなかなか言語化できませんでしたが、年に1、2ページずつ増やし、20ページくらいになったところで、できるようになったことを削除したり、新たな取り組みを考えたりと毎年ブラッシュアップしています。毎年2月には経営指針発表会を行い、社員全員にその内容を伝えています。また、朝礼などでも、理念やビジョンを浸透させる努力をしています。
「地域のために何ができるか」を一生懸命考える会社になる
花田氏:22年1月決算時には売り上げが10億7000万円に達しました。この数字はちょっと行き過ぎで、リフォームやリノベーションへの国の支援策などで受注が増え、勝手に数字が伸びたようなものです。
鈴木:10億の壁を超えるためには、やはり組織力が鍵になるということですね。
花田氏:ええ。社員たちと話し合いながら、よりよい形へと整備しているところです。昨年、私以外の全社員が参加する、社長の悪口を言う会議を実施してもらったのですが、そこでもやはり仕組みへの不満が多かった。一つひとつ解決していくためにも、一旦10億円は横に置いて、数字的な目標は8億円台に留めています。
鈴木:未上場の中小企業の場合は、会社独自の尺度を明確にすることができれば、成長の尺度を売り上げに置く必要は必ずしもないと私は思います。
花田氏:私もそう思います。かつては規模拡大を掲げて支店もつくる予定でしたが、ここ5、6年、特にコロナ禍を経てからは、この地域で何ができるのかを一生懸命考える会社にしたいと思うようになりました。同時に、いい会社をつくりたいな、と。社員が働きやすい、お客様が集いやすい会社をつくれば、自ずと広がっていくのではないか。社員の物心両面の豊かさを追求する経営者になりたいですね。
鈴木:花田社長のように、コロナ禍を経て、自分が本当に大事にしたいことは何かと自問自答をした経営者は多いと思います。
花田氏:会社のある古賀市や、生まれ育った福津市のために何ができるか。例えば、福津には手ごろな家賃の商業店舗が少ないので、アパートを改装して安い賃料で提供することで、若い人たちの起業を後押しする。または、住宅価格の高騰によって家の購入を諦めた人たちに、高品質でハイスペックだけれど手が届く価格のリノベーション物件を提供するというふうに、地域の人が夢を描くお手伝いができればいいなと考えています。
鈴木:人材採用に関してはいかがですか?
花田氏:求人を出せば優秀な人材が来てくれる印象で、苦労は感じていません。うちは女性の活躍がめざましいんです。社員の半分は女性で、部長も課長も女性というセクションもあります。
鈴木:業界的にも珍しいですね。積極的に女性の採用に取り組んできたのですか?
花田氏:男だから女だからと分けて考えてこなかった結果こうなったという感じですが、ひとつ戦略的だと言えるのは、社屋の建設です。スタイリッシュで快適な就業空間にすることで、ここで働きたいと思ってもらえればいいなと考えました。実際に社屋を建てた後の求人の反響は大きくて、博多で勤務していた女性が入社する例が増えました。
「5年後、10年後につながる成長痛を味わっている」
鈴木:経営戦略においてこの10年間で変化したことはありますか?
花田氏:リノベーションを手掛ける中で、断熱性や気密性が低い住宅が多いことに気がついたんです。そこで、ハイスペック住宅の勉強をして、その技術をリノベーションに活かしてきました。それが付加価値の提供にもつながると考えています。
鈴木:ハイスペック住宅のお話も、先ほどのコーポレートスタンダードのお話も、学びを得たらすぐに実行していらっしゃるのが本当にすごいと思います。
花田氏:学びはじめると問題が見えてきて、その一つひとつを解決するためにやってきたということなのかもしれません。ちなみに以前、評価制度をつくってみたのですが、うまくいかなかったので新たな制度を考えているところです。
鈴木:実際に動かないと問題は見えてこないんですよね。まず形をつくる、もしくは動いてみることを繰り返しながら軌道修正をしていくしかない。そのようななかで、最も大変だったのはいつの時期ですか?
花田氏:いまかもしれません。いまの大変さに比べると、リーマンショックや地震の時の悩みは大したことはなかった。昔はどこか根拠のない自信がありましたし、考えるべきことの範囲も狭かったんです。いまは、資材の高騰やデジタルの進化といった外部環境や、人々の価値観の変化などあらゆることに対応していかなければなりませんから。
鈴木:これまでの苦労は実際に乗り越えられてきたわけで、今後はというと、これまで以上に先行きが不透明なところがありますからね。
花田氏:本当に手探り状態で、5年後、10年後、あれがあったから今があると思えるような成長痛を味わっている最中です。ただ、自分は幸せだなと思うのは、金融機関さんとのいいお付き合いが続いていますし、経営者の仲間もたくさんいます。創世塾では違う期の友人もできました。知り合った若い経営者からもたくさんの刺激をもらっています。
鈴木:地域の経営者が相談に来ることもあるのでは?
花田氏:経営理念のつくり方がわからない、と相談されたことがあります。そのときには、自分はこういう考えでここに行き着いた、ということと、経営理念やビジョンは固定すべきものじゃなくて、ブラッシュアップしていけばいいと伝えました。
鈴木:そのようにアドバイスをしてくれる先輩がいることは、地域を活性化させる上でも非常に大切だと思います。やはり経営者に元気がないと、地域経済は回っていきません。
花田氏:そうですね。地域のネットワークは大切ですし、前向きに成長しようとする仲間がいることが励みになっています。改めて、学ぶきっかけを与えてくれた遠賀信用金庫の当時の徳田支店長(現・常務理事)には感謝しています。あのタイミングで学んでいなければ、いまもまだ売り上げ3億円の壁の前で苦しんでいたと思います。
鈴木:最後に、次世代経営者へのアドバイスをお願いします。
花田氏:経営理念のように、自分の思いをきちんとした言葉で社員に伝える努力が必要だと思います。私自身も努力している最中で、これがなかなか難しい。ある意味学ぶのは簡単なのですが、学んだことをどうアウトプットし、伝えるのか。しっかりと伝われば、自ずと会社も変わっていくと思うのです。あとは、諦めることなく一つひとつの課題に真正面から向き合ってください。その過程で必ず成長する瞬間があるはずです。私自身も、まだまだ成長していかなければと思っています。
1967年福岡県生まれ。高校で建築を学び、防災設備メーカーに入社。現場と設計を経験した後、リフォーム市場の広がりを見据え、職人として下積みをするべく、住宅の増築などを担う会社に転職。10年間の修業を経て、2000年に独立。06年に法人化する。リフォーム・リノベーションに加え、住宅建築や商業建築を手掛ける。リフォーム・リノベーション業界においていち早くハイスペック住宅の技術を取り入れ、業績を拡大。現在は組織づくりに注力しつつ、「地域のために何ができるか」という視点で新たな事業を模索している。
次世代経営者成長のカギ
- “何がわからないのか、何ができていないのかがわかる”こと自体が学びである
- 行動しなければ何も生まれない、とにかく行動すること
- うまくいったことも失敗したことも学びにつなげる。そのような貪欲な姿勢が経営者としての器を大きくする
Company Profile
- 会社名:有限会社ライフスタイル
- 所在地:福岡県古賀市久保1139-1
- 設立:2006年(創業2000年)
- 資本金:500万円
- 従業員:20名
- https://your-lifestyle.jp/
※本記事は、当社発行の月刊誌『月刊次世代経営者』2025年5月号の記事をもとに、Web用に一部加筆・修正しています。記事の内容は執筆当時の情報に基づきます。