支援事例

Cases

親族内外承継支援

異業種から鋳造業三代目へ

度重なる試練を乗り越え、
経営力を高める

次世代経営塾[2014年第1期 つしん未来塾(津山信用金庫:岡山県)]修了生
株式会社光岡製作所 代表取締役 光岡 宏文 氏
聞き手 インクグロウ株式会社 代表取締役社長 鈴木 智博
左が鈴木智博氏、右が光岡宏文氏
左が鈴木智博氏、右が光岡宏文氏

学び続ける姿勢こそが次世代経営者の条件。学びには、座学での学びと実践経験による学びがあり、両方が揃って成長の糧となる。順調に事業承継をするも、度重なる困難にさらされ乗り越えてきた光岡宏文氏に、次世代経営者としての成長の軌跡をたずねた。

前職やさまざまな活動から学ぶことの大切さを知る

鈴木:光岡社長は創業80年以上になる鋳造会社の三代目ですが、元々会社を継ぐつもりだったのでしょうか。

光岡氏:子供の頃から工場に行って遊ぶなど、家業が身近だったこともあり、いずれはという思いでいました。大学を出たら家業に入るつもりでいたのですが、父親から外の経験もしてきたほうがよいと言われ、異業種で働くことになりました。そこではおもに組織運営を担当し、広報活動から採用、トラブル処理など、経営に近いような仕事を経験しました。9年間勤めた後の、2007年、32歳のときに家業に入りました。

鈴木:入社後は現場に入られたのですか?

光岡氏:はい。肩書きとしては常務でしたが、ひと通り現場を経験しました。その後は、取引先との交渉や、どのような製品で勝負していくかといった技術部署との話し合いなど、事業を方向づける役割も引き継いでいきました。また、入社後すぐに入会した地元の青年会議所(JC)の活動には積極的に参加して、理事長も務めました。

鈴木:経営者仲間がたくさんできたのでは?

光岡氏:そうですね。組織運営に近い面もあるので、そういう意味でも勉強になりました。JC以外にも、日本鋳造協会が実施する鋳造カレッジという勉強会にも参加しました。1年の間、毎月1回、1泊2日で鋳造工程における必要な知識や技術を勉強するんです。専門的な知識が身についただけでなく、気軽に相談できる同業者仲間ができたので、ありがたかったですね。その後、岡山県の鋳造組合の青年部を立ち上げたのですが、ここでもネットワークが広がって、事業をするうえで助けられました。

鈴木:経営の勉強はいつ頃からされたのでしょうか。

光岡氏:津山信用金庫さんに声をかけてもらって受講した、2014年の「つしん未来塾」をきっかけに学び始めました。

鈴木:つしん未来塾の内容で記憶に残っていることはありますか?

船舶や上下水道機器、産業機械などの鋳造製品の製造を行う光岡製作所

光岡氏:会社の強みに資源を集中させたほうがよいというお話しが印象的でした。実際に、元々得意としていた多品種少量生産に特化する方針を立てたことで、会社を成長させてこられました。ほかにも、一製品当たりの粗利を上げて収益性をあげることの大切さといった数字に関する考え方も学ばせてもらいました。
ですが何より、経営について学んだほうがいいと気づかされたのが大きかったですね。鋳造業は斜陽産業ですが、きちんと経営をすればまだまだやれることがある面白い業界だと思えたんです。気持ちを奮い立たせてもらえました。

鈴木:そのように言ってもらえると大変嬉しいです。つしん未来塾をはじめとする次世代経営塾では、経営者としてやっていくというスイッチを入れてもらうことを一番の目的にしています。

光岡氏:その後、信金さんと相談しながら補助金の申請をしたり、SDGs私募債の発行を引き受けてもらったりと、売り上げ一辺倒ではなく、収益性と生産性の向上を念頭においた経営を進めています。

自分で判断しろ〟と言われ覚悟が決まる

鈴木:16年に社長になられていますが、計画的な事業承継だったのでしょうか。

光岡氏:私が40歳になってJCの活動が終了する頃で、父親も70歳を迎えるなど、ちょうどいいタイミングだと思っていたのでしょう。その数年前に父親の病気が発症したこともあって、少しずつ引き継ぎを進めていました。
父親はワンマン経営者タイプでしたが、事業承継に関しては、ほとんどすべてのことを私にポンと渡してくれました。承継後も、私のやり方に口出しすることなく、スムーズでした。

鈴木:それはご立派ですね。先代が口を出したり、権力に固執したりして揉めるケースが多いですから。

光岡氏:自分で考えて思うようにやれという態度で接してくれました。考えてみれば、私が常務だった頃からそうでしたね。新たな事業として3Dデータを使ったものづくりに挑戦したいと考えていたものの、覚悟が定まらず、父親に相談したことがあったんです。その時に、「自分で判断しろ」と言われました。突き放すのではなく、困ったときには相談にのるけれど、というスタンスでした。ですから私も、一生懸命考えて判断しなければならないと責任感が芽生えました。

鈴木:なるほど。先代が一切口を出さずに承継した背景には、おそらく光岡社長への信頼と、相当な覚悟があったのだと思います。その辺の思いを聞いてみたかったですよね。

光岡氏:ええ。父親にはもっといろんなこと、例えば会社への思いや成り立ち、どんなことを経験してきたかといったことを聞いておけばよかったなと、後悔しています。ファミリー企業の後継者の方には、気恥ずかしいかもしれませんが、両親が元気なうちにできるだけいろんな話を聞いておいたほうがいいと伝えたいですね。

学びを活かし、前向きな思考で度重なる試練を乗り越える

鈴木:これまでを振り返って、一番大変だった時期はいつ頃でしょうか。

光岡氏:父親が亡くなった後の一年間です。19年9月末に父親が亡くなって、そこからの一年間で、とんでもなくいろんなことが起きたんです。
まず翌月に、第一次トランプ政権時の米中貿易摩擦の影響で、仕事量が激減しました。仕入れ値を見直したり、材料を一社購買から二社購買にしたりするなどして、とにかくコスト削減を行いました。同時に、葬儀のお礼を兼ねて、取引先に挨拶に行くなかで新しい仕事につながり、何とか乗り越えることができました。大変ではありましたが、コスト意識が高まり、経営体質の強化を目指すきっかけになりました。

鈴木:いきなりの修羅場だったわけですね。

光岡氏:ええ。その年の12月頭には、工場でボヤが起きて試験室と1000万円ほどする試験機が燃えてしまったのです。うちには消火設備もありますし、消防団員がたくさんいたので自力で消火できたのですが、もう大騒ぎでした。ほかにも、2台ある旋盤の機械が同時に壊れたり、外注先の工場が火事で半分くらい燃えてしまったり……。

鈴木:まさにトラブル続きですが、それらをすべて乗り越えてこられたわけですよね。

光岡氏:一つひとつ困難を乗り越えてレベルアップしてきたと言いますか。ボヤで試験室が燃えたときには、正直どうしようと思いました。ただ、駆けつけてくれた津山の産業支援センターの人の助言で、津山高専にある同様の機械を使わせてもらえることになりました。その後、保険の交渉を通して、新しい試験室をつくり、新たな機械を導入できました。2台の旋盤が壊れたときには、部品の取り寄せに何カ月もかかると言われたので、中古を探して1週間で使えるようにしたんです。
外注先の火事の時には、燃えてしまった機械は中古を探せばあるし、建屋は保険で再建できる、とパニックに陥っていた外注先の社長を勇気づけました。数カ月前に経験していますからね。ただ、お客様の木型も燃えてしまっていて、これだけはどうすることもできない。木型は1つつくるのに、50万円から数百万円かかります。それを50個ほど保管していたので、5000万円から1億円の間くらいの損失です。ちょうど、木型の保管費の徴収について話を進めているところだったので、お客様と交渉して免除してもらったり、お客様とうちで損失を折半したりすることで、話をつけました。以降は、保管費をきちんと支払ってもらう体制にしました。

鈴木:お話しを伺っていると、すべてのピンチをチャンスにしてこられたと感じますが、その原動力はどこにあったのでしょうか。

光岡氏:JCの理事長をやっていたときに、様々なトラブルを解決してきた経験が活きたのかもしれません。何でも乗り越えられるという前向きな思考になっていたのだと思います。トラブルが起きると、「また来たか」と楽しむような自分がいると言いますか。考え方次第ですよね。あとは、トラブルから得られたものは何だったのか、と常に考えるようにしています。
この一年間の困難を振り返ると、父親が私に与えた試練だったのだろうと感じます。どこかに逃げ道が用意されていて、それを自分の力で探して乗り越えなさい、ということだったのではないかと。本当にいろんな勉強になりました。

鈴木:今年で50歳になられましたが、将来的には息子さんへの承継を考えておられるのでしょうか。

光岡氏:まだはっきりとは考えていませんが、長男は経営学部で学んでいます。大学進学の際に、経営を学んでおくといいぞと少し誘導しました。大学卒業後も、すぐに鋳造関係に入るのではなく、例えば銀行などに入って経営に関係するようなことを経験してくれればというイメージはしています。

鈴木:息子さんが継ぎたいと思えるように導くことも大切ですよね。最後に、今後の展望について教えてください。

光岡氏:多品種少量生産や3Dデータを使ったものづくり、機械加工分野を強化していくつもりです。生産自体をどんどん増やしていくというよりも、製品の付加価値を高めていきたい。また、同業他社との連携を深めて、業界全体に貢献していきたいと考えています。

株式会社光岡製作所 代表取締役 光岡宏文氏
1975年、岡山県生まれ。大学卒業後、大学職員として法人本部や付属の専門学校の運営に携わる。2007年、家業である光岡製作所に入社。現場での仕事を学んだ後、父親である先代から、少しずつ仕事を引き継ぐ。青年会議所など外部の活動に積極的に参加し、学びとネットワークを広げる。16年、代表取締役に就任。商工会などの活動を通し、地域の発展にも貢献している。

次世代経営者成長のカギ

  • 本業の仕事は入社すればおのずと身につくが、『経営を学ぶ』ことは意識的にやったほうがいい。
    経営の知識があれば、たとえ成熟産業であったとしてもチャンスを見出すことができ、成長できることに気づく。
  • どんな修羅場にも学びがあり、「どう乗り越えるか、何が得られるか」とピンチをチャンスにする思考を身につけることで、経営者としての器が大きくなる。

Company Profile

  • 会社名:株式会社光岡製作所
  • 所在地:岡山県津山市福力16
  • 設立:1970年(創業1938年)
  • 資本金:4000万円
  • 従業員数:約50名
  • https://www.mitsuoka.co.jp/

※本記事は、当社発行の月刊誌『月刊次世代経営者』2025年9月号の記事をもとに、Web用に一部加筆・修正しています。記事の内容は執筆当時の情報に基づきます。