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M&A戦略インタビュー

M&Aで新たな武器を手に入れる
1+1を3にする飲料メーカー

明治時代にラムネ製造会社として誕生した友桝飲料。同社は、主力製品である無糖炭酸水がブームとなったことで需要が急増。四代目となる友田諭社長は、手狭になった工場を広げるべくM&Aに注目し、2015年、長野県にある工場を譲り受け、木曽開田工場として操業を開始。その後17年にホールディングス化を行い、18年、京都の老舗酒蔵、ハクレイ酒造を、25年にはトッパンパッケージングサービスをM&Aするなど、事業を拡大し続けている。

Profile

株式会社友桝飲料
代表取締役社長 友田 諭(ともだ さとし) 氏

友田 諭氏

1975年佐賀県生まれ。大学卒業後福岡の老舗総合商社へ入社。2000年、24歳で家業である友桝飲料に入社、翌年25歳で代表取締役に就任。同業者の多くが生き残りをかけて大手の委託工場へ事業モデルを転換する中、「こどもびいる」や「地サイダー」などユーザー共創型の独自商品の開発に注力し、業界における独自のポジショニングを確立。18年稲盛経営者賞を受賞。19年SBI大学院大学にてMBAを取得。

ビン入り炭酸飲料に注力

友桝飲料は、1902年、四代目である友田諭社長の曾祖父が、佐賀県小城市でラムネの製造を開始、炭酸飲料を中心に清涼飲料をつくる地元のメーカーとして歩みを進めてきた。
「ラムネから始まり、ビン入りのサイダーをメインに製造してきました。同業他社の多くが大手の委託工場としてカン入りの飲料を手がけるようになっていきましたが、当社はそこには進出せず、ビン入りの炭酸飲料をつくり続けてきました」
その後、82年に清涼飲料のペットボトルでの販売が解禁になると、ペットボトル入りの炭酸飲料を手がけるようになった。

「社長になったのは入社した翌年、2001年、25歳のときです」
当時、社長は祖父で、父親は専務だったが、祖父から直接社長を承継することになった。
「祖父と父は、父子というごく近しい間柄だということもあり、顔を合わせれば喧々諤々やりあうような関係で、決して上手くいっているわけではありませんでした。そんなこともあって、祖父からある日唐突に次期社長を打診されたのです。父からも『おまえがやったほうがいいだろう』と背中を押され、私が社長を引き継ぐことになりました」

社長に就任した友田氏は、取引先と一緒になって商品開発を行うオーダーメード事業を進め、地域の素材を活かしたものや独自のアイデアを活用した商品を開発。規模が小さい工場だからこそできる、小ロット多品種製造で同業他社との差別化を図り、独自の地位を築いていった。

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ラムネの製造から始まった友桝飲料は、ユーザーと一緒に特徴ある製品を次々と生み出している

偶然の巡り合わせが運命の出会いに

同社が最初にM&Aを行ったのは、15年のことだ。「取引先の銀行から、岐阜県の自動車関連会社が別事業で使っていた水工場があり、工場を閉鎖するから買い取り先を探しているという話を聞きました」
折しも、同社の主力製品である無糖炭酸水が全国的なブームとなり、生産が追いつかないほどの伸びを見せていたときだった。当時は、空前のハイボールブーム。お酒の割材として、炭酸水の需要は激増。加えて、無糖炭酸水をそのまま飲む人が増え、レモン系フレーバーをつけた無糖炭酸水もその人気を牽引していた。

同社は、創業時から稼働していた工場が手狭になり、創業の地から少し離れた工業団地に移転。新工場を設立したが、それでも生産が追いつかず、15年、第二工場を建てたばかりだった。そんなとき、水工場の事業譲渡の話があると言われたのだ。
「実際に岐阜県に工場を見に行くと、想像以上に大きく『当社の規模には見合わない』と見送ることにしました。すると、案内してくれた人から、その工場とは別に長野県木曽町に買い手がつかず、閉鎖予定の小さな飲料用水の工場があり『せっかくだから見に行ってほしい』と言われ、見に行くことになったのです」

見に行った小工場は、従業員が20名ほどの規模。当時従業員50数名ほどだった友桝飲料が、サテライト工場として持つにはちょうど良い規模感だった。さらに、同社にない技術を持っていたこともあり、友田氏はこの小工場のM&Aを決めた。
「ただ、当時私が知っている中で、地方の飲料メーカーが拠点を離れた場所で工場を運営する例はありませんでした。佐賀県と長野県という距離が、一番の懸念点でした」

とはいえ、離れた場所にある長野の工場の運営がきちんとできれば、そのノウハウを用いてほかの都道府県にも工場をつくることができるようになる。飲料は重量があるため、遠方への輸送は費用がかかる。需要の多い地域の近くに工場をつくることができれば、その分輸送費を節約できるというメリットがあった。さらに、地域ごとに工場があれば、その地域にある企業や自治体と協業したオリジナル製品の開発もやりやすくなるだろうと考えた。

労働環境の向上で従業員のモチベーションをアップ

こうして同社は長野県にある木曽開田工場をM&A。「工場がなくなるかもしれない」と不安を感じていた従業員たちは、仕事が継続できることに安堵していたという。さらに、業績が悪かったため、摩耗した機械部品の交換もなかなかできない状態だったが、必要であればいつでも購入可能となり、自然と従業員のモチベーションは上がっていった。

とはいえ、うまくいかなかった部分もあった。「水」の取り扱いだ。
「当社のメインは炭酸飲料です。M&Aをした木曽開田工場のメインは水。水と炭酸水とでは、管理の仕方や品質保持に必要な事柄が違っており、M&A直後には、想定外の品質不良が発生したこともありました」
炭酸水の場合、炭酸を添加することで雑菌の繁殖はある程度防げるが、水は空中から落下した菌などによっても、人体に害はないものの、臭いがついたり、濁りが出たりしてしまうことがある。品質管理において、同じようで違う部分が複数あり、戸惑うことも多かったのだ。
「木曽開田工場の設備が古かったこともあり、結果として一年後ぐらいには、当社の強みが生かせる炭酸水の製造工場へと設備の入れ替えを行いました」

こうして木曽開田工場は、友桝飲料の主力製品である炭酸水の生産工場として、新たな道を歩むことになった。炭酸水の工場として稼働するようになってからは、高収益を上げる工場へと変貌。M&Aを行った当初は、4億円弱の売上げだったが、現在は約15億円。営業利益は10%以上となっている。

さらなる広がりを求め酒造会社をM&A

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2018年にM&Aをしたハクレイ酒造

15年に木曽開田工場が仲間に加わった後、17年に友田氏は会社をホールディングス化。友桝飲料は友桝ホールディングスの100%子会社となった。そして翌18年、京都の酒造会社、ハクレイ酒造をM&Aした。
「当社は、ラムネから始まり、サイダー、シャンメリー、『こどもびいる』など、さまざまな会社と協業して飲料の開発をしてきました。これまでも、単に取引先に言われたものをつくるのではなく、要望を聞きながら一緒に形にしていく、当社でなければできないものづくりを行ってきました。今後、炭酸飲料だけでなく、アルコールを含めた飲み物全般へと事業を広げていきたいと考えたのです」

そんな中、取引先の銀行から、「京都に十一代続いた酒蔵があり、後継者がいないため承継先を探している」という話があった。それがグループ会社となったハクレイ酒造だった。
「ハクレイ酒造のある京都、丹後地域に行ってみると、その地域ではどのスーパーにも必ずハクレイ酒造の製品が置いてあり、地元では誰もが知る酒蔵だとわかりました。清涼飲料の場合、工場がある地域でも、エリア全体に自社の商品が並ぶことはありません。地元で強く支持されていることに驚かされ、そのブランド力に魅力を感じました」
また、酒造会社が持つ清酒の醸造技術と、友桝飲料の持つ炭酸の添加技術などを合わせることで、さまざまなシナジーが得られそうだと直感。M&Aを進めることにしたという。

こうしてM&A後生み出された製品の一つに、HAKUREI SPARKLING(ハクレイスパークリング)がある。これは、日本酒のなかでも精米歩合の高い吟醸酒をつくる製造過程で、蔵の中に放出される吟醸香を収集し、それをエキスにして炭酸水に添加したものだ。この製品のアイデアは、M&A後、友田氏が酒蔵でハクレイ酒造の従業員たちと一緒に作業をしているときの、何気ない会話から生まれたという。

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醸造中のもろみから放たれる香りを添加したスパークリング飲料「HAKUREI SPARKLING(WATER・SAKE)」
※左が炭酸水、右は発泡性リキュール

日本酒は“もろみ”を絞ってつくるが、吟醸酒が持つ独特のよい香りは、そのほとんどが絞る際に大気中に放出されてしまうという。
「酒に含まれる香りは、実際にもろみが生み出す香りのほんの一部だというのです。だったら空気中に逃げてしまった芳醇な香りを採取して炭酸水に移したら、吟醸酒の一番よい香りがする清涼飲料ができるんじゃないかと考えました」
友桝飲料には、濃縮果汁をつくる際など、煮出したときに大気中に逃げていく香りを集めてフレーバーにする独自の技術がある。その技術を応用し、醸造過程で出る大気中の香りを集め、エキスにして清涼飲料の原料として使用したのだ。
「清涼飲料メーカーである当社と、酒造会社が一緒になったからこそ生まれた製品でした」

フィロソフィーをつくり言語化で心を一つに

友桝飲料では、会社の規模が大きくなってきたタイミングで、自社の考え方を「友桝フィロソフィー」という形で整理していた。最初にM&Aを行った木曽開田工場では、考え方を合わせるため、このフィロソフィーを朝礼で1章ずつ読むなどして浸透させていった。
だが、ハクレイ酒造の場合、培ってきた長い歴史があり、会社もブランドも違う。「友桝フィロソフィーがマッチしない部分もあるだろう」と考え、ハクレイ酒造単体のフィロソフィーをつくることにした。
「一年半ほどかけて、主要メンバーが集まってつくりました。既存従業員たちとどう心を通わせていくかを考えた時、フィロソフィーをつくる課程で、考え方のすり合わせができると思ったのです」

また、年に二回ほど全体研修も行い、基本的な考え方や判断基準などを合わせていった。このフィロソフィーづくりと研修などを通して、新しい体制になじまない人は自然と退職し、同じ方向を見る人たちとより強固な関係性が構築されていったのだ。
「フィロソフィーを一緒につくっていくと、次第に考え方が合い、団結力もついてきます。また、自分たちが何を目指しているのかということが、言語化されることで『あ、こういうことなんだ』と理解することができるのです」

1+1を3にするおもしろさ

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コップに注ぐとビールそっくりの見た目となる炭酸飲料「こどもびいる」は、大人の真似をしたいという子どもの心を掴んだ同社のヒット商品だ

また同社は、25年1月、新たにトッパンパッケージングサービス(以後、TPS)というパウチゼリーの工場をM&Aしている。「TPSは、最初にM&Aをした木曽開田工場と同じように、親会社があり、子会社の別事業として運営されていた工場だったため、最初のM&Aをなぞるように、過去の経験を活かすことができました」
TPSは大手の委託工場だったため、委託製造のノウハウと友桝飲料の提案営業のノウハウを融合することで、販路拡大も期待できるという。
「M&Aは、ハクレイ酒造の例のように、自社の技術とM&A先の技術を合わせることで新しいコンセプトの製品を生み出すことができるメリットがあります。木曽開田工場では、拠点を離れて展開するという新たなビジネスモデルを産み、結果としてそれが20年に始動した新工場、富士山工場につながりました。TPSに関しては、今までなかったパウチ容器やゼリー飲料を当社の提案に加えることができ、それを武器として他社との差別化も可能になりました」

同社は、M&Aをすることで有利な武器をどんどん獲得している。
「M&Aをする会社の特徴によってできることはさまざまですが、いずれも当社と一緒になることで1+1が2ではなく3にも4にもなる可能性がある。そんな広がりを生むことができるのが、M&Aのメリットであり、おもしろさだと思います」

Company Profile

  • 会社名:株式会社友桝飲料
  • 所在地:佐賀県小城市小城町岩蔵2575-3
  • 設立:1966年(創業1902年)
  • 資本金:3000万円
  • 従業員数:196名
  • https://www.tomomasu.co.jp/

※本記事は、当社発行の月刊誌『月刊次世代経営者』2025年5月号の記事をもとに、Web用に一部加筆・修正しています。記事の内容は執筆当時の情報に基づきます。