電気設備会社の水平展開
経験から学んだM&A成功の鉄則
神奈川県内を中心に電気、通信、空調、給排水設備工事全般を請け負っている市川電設。同社の市川雄士社長は、2008年、25歳で父親の会社から独立し、市川電設を設立。誠実で親しみやすい人柄で周囲の人に支えられながらさまざまな困難を乗り越え、会社を成長させてきた。24年3月、福島にある電気設備会社、東北鈴木をM&A。事業エリアを東北に広げ、グループ年商100億円を目指し躍進している。
Profile
株式会社市川電設
代表取締役 市川 雄士(いちかわ ゆうじ) 氏
1983年神奈川県川崎市生まれ。幼少期に父の会社が倒産し、経営の厳しさを学ぶ。工業高校の電気科を経て、専門学校を卒業後、父親が経営する電気設備工事会社に入社。2008年、父との経営方針の違いから独立し、市川電設を設立。代表取締役として創業当初の苦難を乗り越え、M&Aや人材育成を推進。現在は年商100億円を目標に掲げ、業界の発展と若者の育成に尽力。
創業直後に取引先が倒産 どん底からの再起
市川電設は、2008年、現社長の市川雄士氏が父親の会社から独立してつくった会社だ。
「専門学校を卒業し、父の会社を手伝おうと20歳のときに入社しました。会社が赤字だったこともあり、『なんとかしないといけない』と必死で営業し、新規の案件を取ってきては自分で現場を収めていきました」
採用活動も行い、人を増やしながら忙しく仕事をしてきた。ところが、決算を迎えると毎回赤字。原因は、仕事を請け負う金額が安過ぎていたり、取引先に支払う金額が高過ぎていたりと、適正な金額でのやりとりができていないこと。加えて、父親の役員報酬が高すぎるという税理士の意見だった。
「適正な形にしていこうと父と話をしましたが、どうしても意見が合わない。結局、『自分でやってみたい』という気持ちが強くなり、独立することになったのです」
08年12月。折しも、同年9月にリーマン・ブラザーズが破綻した直後のことだった。
自分が開拓した顧客と、採用したメンバーを連れて市川電設を設立した市川氏は、無我夢中で仕事をし、会社は順調に滑り出したかにみえた。ところが、独立して3カ月ほど経った頃、仕事の依頼を受けていた取引先の一つがリーマンショックの影響で突然の倒産。市川電設は設立間もないにもかかわらず、数百万円の不良債権を抱えることになってしまった。
「取引先が倒産したという話を聞いて『終わった……』と思いました」
市川氏は、それまで張り詰めていた糸が切れてしまったかのようにやる気が削がれ、後ろ向きな思考しかできなくなっていた。そんな市川氏に声をかけたのは、それまで市川氏を支えてきた妻だった。
「いつまでもくよくよしていないで、やらなければいけないことをやりなさいよ!」
後ろ向きな思考を吹き飛ばすような檄を飛ばされた市川氏は、その言葉にようやく「前を向いていかなければ」と思えるようになったという。
「そんな時、大手信用調査会社の担当者が来て、会社の調査をしていきました。その際、いろいろと話をして仲良くなり、その方に決算書の読み方や、新規で取り引きをする際の見極め方などを教えてもらいました」
そこからは、新規での取り引きにより慎重になりながらも、以前にも増して精力的に仕事をこなし、同社は設立時のピンチを切り抜けたのだった。
オフィスビルや工場、店舗や戸建てなど、幅広い分野の工事を請け負っている市川電設。携帯電話基地局やLED照明化、空調、給排水設備など、近年では電気設備以外の分野にも事業領域を拡大
ビジョンの合致と黒字体質が大切
市川氏がM&Aを意識するようになったのは、とある社長からのアドバイスがきっかけだった。
「年商100億円規模の会社の社長に、『1拠点で100億円の年商は大変だけど、年商2億円の事業所が50カ所だったらどう?』と聞かれたのです。当時当社の年商は2億円。『それならできる』と思いました」
市川氏は、事業の横展開を開始。とはいえ、考えていた以上に大変なことが多かった。
「新しく事業所をつくり、資金を投入し、時間をかけた結果、『軌道に乗ってきた』と思ったら事業を任せた社員が独立してしまう──。そんなことが続き、労力をかけてもその分の見返りが生まれないことに悩みました」
ほかにいい方法がないか、さまざまな人に相談してみると、「M&Aも1つの手段なのではないか」と言われ、M&Aに興味を持った。
こうして取り組んだM&Aだったが、最初からうまくいったわけではなかった。
「実は、過去2回ほど失敗しているんです。1度目は基本合意までいったけれど、途中でダメになってしまいました」
最初のM&Aでは、相手の社長と市川氏との間に、譲れないビジョンの違いがあることが基本合意後に判明。結局、M&A成立には至らなかった。
さらにその後、東京郊外にある電気会社を事業譲渡したが、半年も経たないうちに従業員の大半が辞めてしまい、結局縮小することになったのだという。23年のことだ。
その会社は7名の従業員のうち2名が事務職、5名が職人だったが、「仕事が大変すぎる」と職人全員が辞めてしまったのだ。引き受けた仕事が終わらないうちの退職だったことで、残りの仕事は市川氏が一人で請け負うことになったという。
彼らが担っていたのは、市川氏であれば一人でもなんとかこなせる仕事量だった。
「それでも『大変すぎる』と感じたということは、一人ひとりの技術が足りていないということだと思います。それならこれから仕事をしていくなかで技術を向上させていけばよかったのですが、『頑張っていきたい』という気持ちを持ち合わせていなかった。結局、これまではそれで通ってきてしまっていた。赤字が慢性的に続いている会社には、それなりの理由があるのだと実感した出来事でした」
経験から得た“選球眼” 協業できる会社を選出
「経験に勝るものはない」と市川氏は言う。
実際、過去の経験により、市川氏がM&A先に求める条件は明確になった。
第一に、経営者が40代と若く、M&A後も事業を継続して担ってくれること。第二に、赤字が常態化していないことだ。
「当社には今40名の従業員がいますが、M&Aをした際に『社長』ができる人材がいるかというと、すぐには難しい。そのため、M&Aをした後も社長として、次の世代が育つまで一緒に経営を担ってもらえる年代がいいと考えました」
また、赤字が常態化している会社は、経営者も従業員も数字への感覚が鈍ってしまっている可能性が高い。赤字になっている原因をすべて外的要因のせいにして、自らを振り返らない人が集まっていることもある。
「『ずっと赤字を出している』ということは、経営者も従業員もそれに対して何にも感じていないということだと思います。ぬるま湯に浸かって、赤字のままでも気にしない人たちとは一緒に仕事をすることはできません。厳しいことを言うようですが、赤字をつくっているということは、何がしかの能力が足りていないということ。その現実を理解し、自らが変えようとしなければ、赤字からの脱却は難しいのだと思います」
2つの明確な条件のほかにも、業態が離れすぎていないことなども考慮のうえ、「ここなら大丈夫」と市川氏が感じたのが、24年にM&Aを行った福島県にある電気設備会社、東北鈴木だった。
「東北鈴木は、従業員が30名ほどで、二代目が先代から引き継いだ時は明確な会社のルールや基準がなく、その状態を改革しようと懸命にやってきた会社でした。既存社員の反発などにあい、改革は想定したよりもうまくいかなかった側面はあったものの、社長の真面目な人柄に触れ、この人であれば信頼できると感じたのです」
もっともM&A当初、東北鈴木は経常利益ではプラスであったものの、営業利益はマイナス。最初に行ったのは、その要因を突き止めることだった。そこでまずは仕入れに関して細かい部分まで見直しを行い、適正な価格で取引ができるように仕入れ先を精査。保険の支払いを払い済みにするなど、変えるべきところを変えていった。
こうしてマイナス1000万円ほどだった営業利益は、M&A後1年で3000万円ほどのプラスへと大幅に改善した。
成果の見える化で自ら気づく仕組みづくり

M&A成功への次なるステップは、組織の〝自走化〟だ。当初の予定通り、東北鈴木は前社長が社長を継続。幹部陣もそのまま同社の経営を担う人材とした。そのうえで、まず、同社の幹部である3人を集め、半年ほどかけて管理職研修を行った。
それまで、東北鈴木では、〝社長1人対従業員全て〟という組織体制があり、幹部といえども決算や経営指標などの会社の数字に対する意識は高くなかった。そこで、まずは数字の意味や見方を教え、数字に対する意識を変革していった。
さらに、現場のすべてに社長が関わるのではなく、組織として機能する体制をつくるため、相談事があるときは、まず上司や幹部陣に話をするように変えていった。
「そうすることで、社長は社長にしかできない業務に集中できます。一番変わったのはそこなのではないかと思います」
赤字体質からの脱却以外にも、積極的に変えたことがある。採用に関係することだ。
若手人材を採用しやすくするために、会社のロゴやウェブサイトなどを親しみやすいものに変更。
「若い人たちが『この会社で仕事をしてみたい』と思えるように、ウェブサイトに仕事別の1日のタイムスケジュールなどを掲載し、実際に働いている姿がイメージできるような内容を盛り込みました」
ほかにも、作業着のデザインは、市川電設に揃えてオシャレなものに変更した。

組織の形を整えていった市川氏だが、仕事のやり方に関して、大きく変えることはしなかったという。
「M&A後に新たに雇用した従業員に対しては、新しい人事評価制度を適用するなど、新たな取り組みを実践するようにしました。ただ、既存メンバーには強制的に変化を求めることはしていません」
何年も同じ状況で働いてきた従業員の考え方や行動を、外から来た人間が強制的に変えようとすれば、自ずと強い反発が生まれてくると思ったからだ。
「もちろん、新しい人がこれまでと違う考え方で仕事をしているなか、『変わりたい』と思ってくれる既存従業員に対しては、『いつでも変わってくれていい』と伝えてあります」
諦めずに希望をもち続けることが未来へのカギ
会社が利益体質へと変化してくると何が起きるのか──。
東北鈴木では、成果を出している人と出していない人の差がきちんと見えてくるようになってきたという。
「そうなると、成果を出している人にボーナスを多くして、出していない人には少なくする。上司や社長の感覚頼みではなく、仕組みとして評価したほうがいいという話になります。今後は東北鈴木の社長・幹部陣と一緒に、東北鈴木の実情に合った人事評価制度の構築をしていく予定です」
さらに今年度からは、新入社員に向けて新たな仕組みをつくり、実践していく。
今後、新規採用で入社してくる従業員が増えれば、新しい仕組みで評価される人たちが、どんどん増えていくだろう。そうなると、既存のやり方を続けて成果を出していない人は、自然と居心地が悪くなっていく。既存従業員も奮起せざるを得ないような環境が自然と生まれてくるのだ。
「どんな人も諦めずに希望をもってやっていけば、想像を超える幸せな未来がつくれるのだということを、私自身が見せていきたいという思いがあります。現在、市川電設は単体で年商10億円ほどですが、あと8年後、私が50歳になったとき、グループで100億円規模の企業へと成長させていきたいと考えています」
24年のM&Aで、東北地域をカバーできる拠点が福島に誕生した。今後は東北鈴木を中心とした東北エリアだけでなく、名古屋、大阪、福岡などの大都市圏を中心に、市川電設グループの関連会社をつくれるような未来を目指していく。
Company Profile

- 会社名:株式会社市川電設
- 所在地:神奈川県相模原市中央区清新4-8-11
- 設立:2008年
- 資本金:1億円
- 従業員数:40名
- https://ichikawadensetsu.com/
※本記事は、当社発行の月刊誌『月刊次世代経営者』2025年7月号の記事をもとに、Web用に一部加筆・修正しています。記事の内容は執筆当時の情報に基づきます。